勤労奉仕

皇居や赤坂御所では、随時清掃ボランティアを募っている。
そのボランティア活動を「勤労奉仕」と言う。

数年前、伯母がその勤労奉仕をしてきた時のことを話していた。
勤労奉仕、なんとピンセットで雑草を摘むのだそうだ。
なんとも実に面白そうでスピリチュアルなボランティア活動に聞こえた。

だが、楽しそうに聞こえたのは、伯母の話だったからかも知れない。
伯母は、母方の一族の中でも最も聡明でユーモア溢れる人だから、その人が話したからすごく楽しそうに聞こえたけれど、実際にやったらすごい骨が折れる作業なのかも知れない。

ひょっとすると今の天皇が最後の天皇になる可能性もあるので、日本文化を堪能したいのならば、皇室行事には今のうちに参加しておくのが良いかも知れない。

日本人は基本的にみな働きバチで、仕事がない人はまったく無い一方で、仕事がある人は過労死するほどギリギリまで働かないといけない。

無職の人は、ボランティアするだけの経済的基盤がなく、職についている人は時間がない。
そういうギリギリの日本でボランティア活動が出来る人というのは、どういう人々なのかというのは、なかなか謎だった。

ボランティアなんぞするぐらいなら、自分の企業に対して献身しろというのが日本文化で、そういう空気を押し切り、金と時間の両方に余裕があり、かつ、欧米のような宗教的動機付けがなくても、ボランティア活動に対するモチベーションがある層ってのはなんなんだろうと?

欧米というか、キリスト教文化圏でボランティア活動するということは、基本的には教会に対して労働奉仕していたことがルーツになる。

そういう文化背景があるから、直接の利潤がなくとも、献身的な活動をしたということは、キリスト教文化圏においては尊敬の対象となり、地域社会での社会的承認になり、様々な社会活動をする上で便宜を得られる。

かつての日本人にとって、天皇とはローマ教皇にも等しいのだろう。
だから、敬虔なカトリックの祈りと、皇居で奉仕する人の後姿には似たものを感じる。
絶対なる存在を畏れ敬うという精神活動は、人間の精神に何かを与えるような気がする。

その絶対存在が、お山のガキ大将とか、傀儡とか、気まぐれな独裁者だと困ったことになるが、本当に力があって賢い存在ならば、畏れ敬うことは幸せに繋がるのだろう。

だから本当は、人間は民主主義よりも、絶対的な神や君主を信じ、崇め奉る体制の方が精神的に楽なのではないかという気がする。

自由と文明の象徴のように言われる民主主義だが、実際には巧妙にメディア等でコントロールされていて、民衆にはほとんど主権は存在しない。民主主義ってのは案外ダメなシステムなのかも知れない。